つれづれ日記

祈る

Posted by earth on 2018年01月18日

祈る
 

私はよくこの言葉を使う。

「祈ってるね」「祈っています」「祈ります」

正直なところ、心もきちんとその思いになった状態で「祈る」という言葉を発する時もあれば、まだ心がついてきていない時もある。

でも不思議なことに、どんな方法であれ「祈る」という言葉を発した後、気がつくと必ず心が追いついてきている。

言葉に後押しされて、私の心がみんなの幸を願う。
小さな意味でも大きな意味でも。

それは、わがままで、決して心が広いとは言えない私が、自分の力でできていることとは思えない。

だからこそ思う。

言葉はすごい。

今日もこの言葉に助けられて、私は「祈り」の時間を紡ぎたい。

 

 

 

 

 

 

 

photo by Mariko Miura

森のケアテイカーになると起きること

Posted by earth on 2017年12月08日

ずっとずっと どんよりしてた11月。

周りであまりにいろんなことが起きて、そのほとんどが理不尽に思えることばかりで、そのうち考えることも嫌になって、雲の上を歩いているような、変な気分になっていた。

仕事をする気もしないし、だからと言って遊ぶ気力もない。

どうすれば問題が解決するのか、状況がよくなるのか…自分が動けばどうにかなる問題でないことが多すぎて、もう頭くしゃくしゃ状態。一番嫌だったのは、何かをする気力がまったく湧いてこないことだった。

そんな時に ちょうど山梨の森に行く用があった。
こんな時こそ「ケアテイカー」になるのがいい気がして、森でひとりケアテイカーをやってみた。

このところ流れのケアばかりが続いていたので、久しぶりに森に入り、「森が気持ちなりますように」と念仏のように心で唱えながら笹丈を短くし、詰まったところを刈り、伸びすぎた木々の枝を払った。

無心で森に気持ちを寄り添わせて過ごした数時間は、単純にとても気持ちよかった。
「やっぱりケアテイカーは気持ちいいね」
ただそれだけで終わるかに見えた。

ところが…

帰る時間になり、道具を片付け、家を片付け、帰路についたその車の中で、突然、思い悩みの中の一番重要なところ。自分がしっかりやらないといけない部分について、はっきりとしたヴィジョンが映像とともに降りてきた。
そうよ、私がやるべきことはこれなのよ!

すべてが腑に落ちて、身体中にエネルギーが注入され始めるのを感じた。

ずっと祈ってきたことだから、ただその答えが与えられたという見方もあるけれど、それにしてもやっぱり「ケアテイカーおそるべし!」と思う。

自分の中の滞りをスーッと取り除いてくれて、再び新鮮な空気が身体中に流れ始める。
そして今まで見えていなかったことが目の前に形になって現れ、行くべき道が浮かび上がってくる。
まるでお母さんが「こっちよ。こっちよ」って手招きして道を示してくれるみたいに。

人として与えられた命をどう使うか。
そんな基本の、でもものすごく大きな命題とも軽々と向き合わせてくれるケアテイカーの時間が、私は大好きです。

自己責任 と 東北でよかった 発言

Posted by earth on 2017年04月26日

震災被災者に対する「自己責任」発言で物議を醸した今村復興大臣が、今度は大震災が「東北でよかった」発言。ついに辞任されるとか。

今回に限らず、政治家の発言を見聞きしていると、本当に彼らは“Yesマン”に囲まれて、甘やかされて生きてきたんだなと思います。
職業云々以前に、人としてあまりに未熟で、もう一度最初から生き直すことを勧めたくなるほどです。

翻って私たちは、清々(すがすが)しい心に立って生きているだろうか。
次の世代にちゃんと大切なことを伝えているだろうか。

人と比べて自分を満足させてはいないか。
人より大きく見せることに腐心してはいないか。

名誉や地位だけを求めてはいないか。

隣にいる人の幸せを願えているか。

改めて自問する朝になりました。

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幸せになる秘訣

Posted by earth on 2017年03月10日


みんな幸せになりたいと思って生きている。

「幸せ」の形は人によって違うけれど
みんなが幸せに近づくには
どうしたらいいのだろう。
そんなことをぼんやり考えていた。

 

なぜそんなことを考えていたかというと
世の中あまりに嬉しくない出来事が多くて
絶望するのなんか本当に簡単だ!と思ったから。

 

私自身にもいろんなことが起き
いろんな気持ちがぐるぐるしていたある日
ふと気がついた。

 

みんな その人なりに頑張ってる。
頑張っていないように見える人も生きている。
生かされている。
その人にしかわからない気持ちを抱え
その人なりの瞬間を生きている。

 

私はそれをきちんとリスペクトしよう。
リスペクトしたい。

 

そう思ったら
なんだか心が軽くなって
嬉しくなった。


もしかして これぞ幸せになるための秘訣じゃないか。

 

無理をするのではなく
自然に他者をリスペクトできるようになったら

それは幸せへの第一歩かも。

 

目上だとか目下だとか
何かに秀でてるとか いないとか
有名だとか 有名じゃないとか
そんなことを全部取っ払って
自分以外の命をリスペクトできたら
私はかなり嬉しくて
かなり幸せになれる気がする。


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抑圧者と被抑圧者−その1

Posted by earth on 2016年08月22日

たった2日間の家族水いらずの夏休み。
その2日目は台風。
でも、私たちが今いるところは静かに雨が降ったり止んだり。
風もなく、yahooのニュースを見なければ、台風が来ていることにも気づかないくらい。
そんな訳で、目の端に家族の存在を感じながら、静かにそれぞれがしたいことをしています。

今、読んでいる本がとても難しくて、なかなか読み進めない私ですが、それでも時々「そうだ!」といたく共感する部分と出会うと、いきなり読むスピードが速まったりします。

感想は読み終えてからゆっくり書こうと思いますが、今はメモのつもりで、そのいたく共感した部分を書き抜いておきます。

* * *

「…(抑圧するものたちにとっては)抑圧される人たちが、その抑圧の状況を前にして無力であると感じることや、その抑圧の状況を『限られた変えようのない状況』と見て、打開不能と見なすことに『埋没』する状態がいつまでも続くほうがよいのである」


「抑圧の関係が確立されたときに、すでにそこには暴力が始まっている。しかし、今日までの歴史のなかで、その暴力の火が抑圧された側からつけられたことはないのである。…抑圧する者たち、搾取する者たち、他者のありようというものをみとめない人たちが暴力の火をつけるのである」


「愛のない世界を始めるのは、愛されなかった人たちではない。愛さなかった人たち、他を愛することのない人たちである」


「テロを始めるのは、抑圧されている弱者ではない。その権力により 明らかな抑圧を生み出し、生活できず、世界の引き裂かれた状況にあるような人を生み出している暴力的な者たちこそがテロの始まりなのである」

『被抑圧者の教育学ーパウロ・フレイレ著』より抜粋 要約

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