つれづれ日記

客人

Posted by earth on 2011年10月17日

今朝我が家に すごい客人がやってきた。

7時過ぎ お弁当を作り終えてふと外を見ると 何やら白いものが ふわりふわりと降ってくる。なんだろうと思っていたその時 淳さんが小さな低い声で言った。
「みんな静かに動いて。大きな声を出さないで」

淳さんがそういうときは必ず 庭に何か珍しい生き物がやってきた時。
そおっと移動して庭を見ると 玄関前の梅の木に体長30センチほどの猛禽が止まって獲物を食べている。ふわりふわりと降っていたのは その獲物となった鳥の羽根。

我が家の全員が息を殺してその光景を見続けた。

オオカミと猛禽類には 共通するかっこよさがある。
単純に「すごい」と思うし 彼らに対して我が家の全員は「あこがれ」のような気持ちをもっている。
だからみんな動けなくなった。

彼(その猛禽)は黙々と食事を続ける。

途中 カラスが鳴いた。
すると彼は 獲物を食べるのをやめ 空をうかがい じっとする。
しばらくすると また食べ始める。

そしてとうとう 我慢に我慢を続けていた娘が叫んだ。
「もう遅刻する!」(いや、もう十分に遅刻してる...)
静かに静かに 決して木を見ず 娘は家を出た。
すると彼は食べるのをやめ 娘が出て行くのをじっと見つめていた。

しばらくして 彼はまた静かに自分の食事に戻った。

ここは東京都武蔵野市吉祥寺。
「いのち」と出会った朝だった。


「家庭」ということば

Posted by earth on 2011年10月09日

先日、山梨に住む大先輩と久しぶりに話をした時のこと。
話は多岐に渡ったけれど、その中で、「今の世の中おかしなことがいっぱいあるけれど、それは基本となる『家庭』がしっかりしていないからじゃないか」という話になりました。

そして彼女曰く
「家庭」って「家」と「庭」って書くじゃない。
やっぱりその両方があって初めて「家庭」なのよ。
現代は「家」しかない人が多くて、じゃ、なくなってしまった「庭」の方はどうやって埋めていくかってことだと思うの。
バランスよね、やっぱり。

「庭」つまり自然に触れる時間。自然を感じる時間。自然を思う時間。

自分のいのちが すべてのいのちとつながっていると感じられる瞬間って、こういうところから 得られるものなんだろうな。
たとえ大自然が目の前になくても、昔の人はそういう時間をバランスよくもっていたんだろうな。

さらに言えば、「都会」を自然豊かな山間部(「いなか」)と切り離して考えるのではなくて、山から流れ出る川を中心にしたその流域と考えてみたら、「都会」と「いなか」、「自分たち」と「自然」が無関係ではないとわかってくるんじゃないかと思う。

「都会」とそこに生きる人たちが心身共に健康に暮らす秘訣は、自分の「庭」をしっかりもつことなんだろうと思った、秋の一日でした。



スティーブ・ジョブス

Posted by earth on 2011年10月06日

とうとう、いなくなってしまった...

情報の世界がタマシックな力で埋め尽くされませんように。

ご冥福を心からお祈りします。



「あきれる」という感情の行方

Posted by earth on 2011年09月24日

「あきれてものも言えない」とか「開いた口がふさがらない」という経験は、みなさん何度かお持ちのことと思います。

その「あきれる」という感情が続くと人間はどうなるでしょう。

今朝もまさに「開いた口がふさがらない」こんな情報が入ってきました。
ニューヨークの国連本部で開かれていた「原子力安全及び核セキュリティに関する国連ハイレベル会合」が閉幕し、福島原発の事故の教訓を踏まえた世界最高水準の安全対策を共有することを確認したそうです。つまり国際社会は今後も原子力利用を推進していくことで合意したということです。

会合の冒頭では、国際原子力機関(IAEA)の天野事務局長が「福島事故は原子力の終わりを意味するものではない。多くの国が依然としてエネルギー需要の高まりや気候変動への懸念から原子力利用の拡大を意図している」とビデオでおっしゃったとか。

また我が国の新首相・野田氏も演説し、「原子力利用を模索する国々の関心に応える」と語ったらしい。何とわかりにくい日本語でしょう。意味を理解するのにしばしの時間を要しますが、要するに「原発は必要」の立場を明確にしたということでしょう。

野田氏は首相としての所信表明演説では「中長期的には原発への依存度を可能な限り引き下げる」と明言されていましたが、今回の会合ではそういう表現はなく、あの演説は国内向けだったのかと思ってしまいます。

普通の人間が普通に考えた場合、福島原発の事故の教訓を踏まえて出てくる答えは、原子力はこの地球上にあってはならないもの、すなわち脱原発ではないかと思いますが。

さて話は戻って、「あきれる」という感情が続くと人間はどうなるか。
この感情が続くと悲しいことに「あきらめる」という感情が支配し始めます。

日本は今まさにその状況下に置かれている気がします。どちらが先にあきらめるか、根比べをしている感じ。
東北の被災地の人びとも、「あきらめ」の感情に支配されるか、されないか、そのぎりぎりのところでがんばっている気がします。
脱原発を訴え続けている人たちもそうでしょう。
いや、それだけではなくて、おそらく日本中に、このぎりぎりのところでがんばっている人たちがたくさんいるはず。
それほどに今の世の中には「あきれる」事態があふれているのです。

そういう事態は、結局人間が「生かされている」という事実を忘れてしまったから起きていること。自分の力で「いのちの行方」を決められると思ってしまったから起きていること。

まずは、ひとりひとりが「生かされている」今をしっかり喜んで、それぞれの役割を担って生きたいと願うところから始めませんか。

って、これをまず伝えなければいけないのは、「あきれる」事態を起こしている側の人たちですね。


放射能から身を守るということ

Posted by earth on 2011年09月16日

広河隆一さんの著書「福島 原発と人びと」の中に書いてあることで、「まさしく!」と思ったことのひとつ。

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放射能から身を守るということは...

1)放射線医学の権威者たちから身を守ること
2)原子力産業の発展を目指すIAEAから身を守ること
3)原子力推進政策をとる政治家たちから身を守ること
4)原子力推進ではないけれど、結果的に妥協を繰り返そうとする政治家やメディアから身を守ること
5)放射能は安全だという学者たちから自分たちを守ること
6)1)〜5)に書いたような人たちや機関によって封じられた「事実とデータへのアクセスの権利」を何とかして手に入れること
7)6)を妨害しようとして「風評、デマに惑わされるな、安全だ、ただちに健康に影響はない」などの言葉を用いる人間たちから身を守ること

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これを読み返すたびに、私たちは今まさに「生き直す」チャンスが与えられているんだなと思う。

何となく、自分のことや自分の家族のことだけ考えて、のほほんと生きて来られたことが、実は幸せだったのかどうか。そのことで、たくさんの「能力」を失ってしまったのではないかと思う。

しっかりと、人間が本来もっている「能力」を取り戻すために、私たちは今、新しいスタートラインに立っている。


参考文献:「福島 原発と人びと」 広河隆一 著 岩波新書


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