つれづれ日記

最後のチャンス

Posted by earth on 2012年02月16日

その昔、Dという広告代理店にこんな「戦略十訓」があったそうです。

1. もっと使わせろ
2. 捨てさせろ
3. 無駄使いさせろ
4. 季節を忘れさせろ
5. 贈り物をさせろ
6. 組み合わせで買わせろ
7. きっかけを投じろ
8. 流行遅れにさせろ
9. 気安く買わせろ
10. 混乱をつくり出せ

あらまあ…ですよね。
でもこれはこの広告代理店だけがやってきたことではないですね。日本が国をあげてやってきた事なのだろうと思います。

まんまと引っかかったたくさんの日本人は
人として大事な心を忘れ
命のつながりを忘れ
それを忘れたまま次の世代を育てた。

そしてその結果

自分より下だと思うものを見つける事に血眼になり
自分を大きく見せる事にすべてのエネルギーを使い
お金が何より大事と思い込み
自分が自分のいのちに対して恥ずかしくない生き方をしているかどうかなど
まったく考える事なく

学校の名前や会社の名前だけで自信をつけようとし
くだらない 人との見栄の張り合いに命をかける大人たちが
どんどん産み出されていったのです。

そんな大人に育てられた子どもたちは
当然大好きな親の跡をたどる…

これは命に対する冒涜です。

みんなもっと自分の「いのち」に敬意をはらってください。
そしてあなたのその「いのち」に自信をもってください。

私たちは311という大きな犠牲と引き換えに
自分をふりかえる最後のチャンスをいただいたのです。

「教育と自由」北大教授のコラム

Posted by earth on 2012年02月05日

昨日のつれづれ日記の続きです。
今日(2/5)の東京新聞に、北海道大学教授 山口二郎先生がこんなことを書いておられます。まったく同感なので、ここにご紹介します。
教育の問題は、自分に子どもがいる いないに関わらず、私たちが暮らすこの日本の将来を考える時にとても重要な問題です。みなさんおひとりおひとりが、
この現実に目を向けてくださることを心から願い求めます。

「教育と自由」 山口 二郎(北海道大学教授)
土肥信雄・元都立三鷹高校校長が、都立高校の職員会議における採決の禁止は違法であると訴えた裁判で、一審の東京地裁は土肥氏敗訴の判決を出した。
大阪における教育基本条例にしても、東京における教育現場の締め付けにしても、日本の教育行政では、学校教育を労務管理の発想で捉える動きが強まっている。

この点について、既に明治時代に三宅雪嶺というジャーナリストが次のように予言していた。
「独立心を憎むの官吏が教育を監督し、独立心を憎むの教員が授業を担当しては」、「有識有能の奴隷精神」を持った人間を作り出すだけであると。
有識有能の奴隷精神は、無責任なエリートを生み、国を破壊に導いた。現代日本では、これに独立心を憎む裁判官が加わった。

学校における上意下達と点数主義を推進する為政者は、グローバルな競争に勝つ人材を育成したいと言うが、それはとんでもない見当外れである。

知的、精神的に自立した若者を育てるためには、教師の自立、独立を保障しなければならない。自治体首長の政治的趣味で上からの統制を強めれば、上司の顔色をうかがう教師が増え、そんな教師の下からは事大主義※1の人間しか育たない。

一審では負けたが、学校における自由を守るために土肥氏の勇気ある戦いを支援しなければならない。

ー東京新聞 2/5 朝刊 「本音のコラム」より転載ー

※1「事大主義」とは、自分の信念を持たず、支配的な勢力や風潮に迎合して自己保身を図ろうとする態度や考え方をいう。


職員会議

Posted by earth on 2012年02月04日

先日、都立三鷹高校の元校長が、職員会議で挙手や採決を禁じた東京都教育委員会の通知が違法だとして、損害賠償を求めた控訴の判決が東京地裁であったのはご存知でしょうか。

判決は請求棄却。

これは、今の世の中、問題が山積する中でのひとつの出来事、と軽くスルーしている方もいらっしゃるかもしれませんが、私はとてもひっかかる。

都の教育委員会が挙手・採決を禁じて6年。今の職員会議は、意見を言い合う場ではなく、事務連絡の場だとか。たまに議論が行われても、最終的には「ここでは決められないので」と管理職に決定権が委ねられる。

朝日新聞の記事によると、最近の若い先生方からは「管理職の方針に従うのが私たちの仕事」という声が聞こえてくるらしい。
「『自分で考える人間になれ』と生徒に教えながら、自分たち教師は考えることを忘れている。議論のない職場を当たり前と思う世代が、今後増えるのが怖い」とは50代の現役男性教師。

みなさん、どう思われますか?
自分の子どもたちを育てる場として、どういう場がふさわしくて、どういう場が必要なのか。
まずは親たちが考えるのをやめないでしっかり意見を持つことがスタートラインのような気がします。


2012年が始まって

Posted by earth on 2012年02月01日

みなさん、お元気ですか。
吉祥寺周辺では、連日明るい陽射しと青空に恵まれた
冬らしく冷たい日が続いています。

でも例年とは何かが違う。

そう、そろそろ今 地球で起きていること、
今まで自分たちがしてきたことの足あとをふりかえり見て、

それらとまっすぐに向き合う時が来ているのかもしれない。
そうすることで新しい道を開くことができるかもしれない。
そしてこれが その最後のチャンスなのかもしれない。

おそらく 大事なことは、

自分がこの宇宙のひとつの命として 今ここに居ることが許されている
という事実を信じることができるかどうか。
きちんと現実や自分と向き合って歩いていくこと、
そしてその視野はいつも広く持つこと。
必要なのは、それだけかもしれない。

よくないことがいっぱい隠されてきているけれど、
同時に、
素晴らしい事実が、どれほどたくさん見えなくなっているか。

自分のいのちは すべてのいのちとつながっている。

これを日々感じること、それ自体が力です。

冬の陽射しや風を受けながら、
心と身体を暖かく燃やして生きていきましょう。


ー岡田 淳ー

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個人商店の復活 望みます

Posted by earth on 2012年01月26日

私が住んでいるのは吉祥寺
人気があるらしく、街はいつも賑やかすぎるくらい 賑わっています。
先日 街を歩きながら、私はどんな街が好きだろうと考えてみました。

私は兵庫県の西宮市で育ちました。子どもの頃、夕方になるとおばあちゃんと手をつないで市場に買い物に行きます。
そこは小さな市場ですが、お肉屋さん、乾物屋さん、魚屋さん、パン屋さん、お花屋さん…といろいろなお店が並んでいて、市場の通りを歩くと、店先から、顔見知りのおじちゃん、おばちゃんが声をかけてきます。
買い物をする時も、必ずそこには何かしらの会話があります。

うちのおばあちゃんは「ねこ」というあだ名がつくほど魚が好きな人でした。なので、どうしたって魚屋さんに行く回数が増えます。

「今日は何がある?」
「今日はいい鰹があがってるよ。タタキなんかどう?」

そんな話を聞きながら、私は自然と魚の旬を覚えました。
そういう場所ですから、子どもが「おつかい」に行くことも、それほど大変ではありません。市場の大人たちや、買い物をしている近所の人たちが、ちゃんと見守ってくれるからです。

その光景を思い出しながら、私はそういう街に住みたいと思いました。
人が声を掛け合える街。自然の流れが見える街。人の呼吸が感じられる街。

吉祥寺も もともとはそういう街でした。私が引っ越してきた20年前は、少なくともそういう部分がまだ残っている街でしたし、吉祥寺生まれの夫や夫の両親から聞く吉祥寺はそうです。
でもこの20年の間に、どんどん個人商店がなくなり、どんどん屋敷林や庭がなくなり、知らない人間ばかりが増えてきている気がします。

おそらくこれは日本中で起きていること。とても残念です。
でもこれは誰のせいでもなくて、結局
この流れを作ったのは私たちなのですね。買い物をする時に「安さ」だけを求める人が増えた結果、たくさんのすてきな個人商店が消滅しました。

しかし…しかしです。
この流れを作った原因が私たちにあるとするなら、私たちがこの流れを変えることもできるということですよね。ただ昔に戻るというのではなくて、螺旋階段を登るように、緩やかな変化をもちあわせながらも、芯にはしっかり「自然の摂理に従った人間らしい営み」という一本の筋を通して。
みんなで変えていきませんか?
私たちが暮らす街を、人の呼吸が感じられる街に。
まずは私たちが求めるものを考え直してみるところから始めて。


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今は亡き吉祥寺の「鶴の湯」

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