【全体を学ぶ学校2020】7月 感想レポート

’20 夏「縄文と神話の世界」

7月は縄文時代にタイムスリップして、当時の人々が何を見、
何を大切に生きていたのか。それが現代の私たちと どう繋がっているのかを、自然と密な時間を過ごしながら体感しました。

川を訪ね流れを見たり、何年も手の入っていない森に入って静かにその場の気を取り込んだり。森や流れの滞りを感じたり、手を入れたり、畑の作物の成長具合を見て草を刈ったり...

自分の身体と向き合う時間からもいろんなことが見えてきたし、夜の馬頭琴コンサートは、いつもながらとても贅沢な時間でした。

座学と直接自然に触れる学びを4日間じっくりできたことは、その場にいた全ての人にとって、大きく深い学びの時間となりました。今回蒔かれた種がどんな芽を出すか、ワクワクします。

直後から、時間を経て出てきた参加者の感想や想いをご紹介します。

いろいろな年齢の方々と知り合うことができてうれしかったです。ゆるやかな時間の流れの中で、自分の感覚に敏感になることができました。

生活の中で、朝起きて、体を動かし、掃除や食事の準備、森に入って、川を見て、畑の世話をする。
その中で「するべきこと」も時間の決まりもゆるやかでした。そうして自分の感覚に従ううちに、いかに自分が外に目を向けているか、一点しか見ていないか、自分に「頑張れ」という声をかけているか気づきました。
日常の中ではなかなか気づけないことに気づくことができた。

山や森の中で過ごし、共同生活をすることも、とても楽しい経験でした。



「木を見て森を見る」
「全体を学ぶ」とはこのことだと僕は思った。

何もかも分断して、部分を見る現代人は、きっと木しか見ることができない。頑張って森を見ようとしても、それは森のシルエットであり、本当の森ではない。

本当の森は僕らを包み、支え、生かし、ときには殺す。

木を植えれば自然が豊かになるわけではないし、切ることが悪いとは限らない。

言葉にすると当たり前すぎて伝えられないのが悔しい。

とにかくシルエットではない本当の森をもっと多くの人に知ってもらいたい。知識ではなく、感覚、体験として。
僕らが生きる世界はもっと豊かだということを知って安心してほしい。

森深くに入って行ったり、沢の手入れをする。
一緒に丁寧に食事の用意をしたり、掃除をしたりする。

効率を追い求めるのではなく、全体をできるだけ意識しながら、少しでもより良い流れが生まれるように自ら行動していくことを学んでいく「全体を学ぶ学校」。

無意識のクセや抵抗にも気づかされるから、必ずしも居心地のいい場所ではない。
でも、さらに循環し、調和して生きたいので、きっとこの場に戻ってきて、また学ばせていただくことになるのだと思います。


多様な自然、多様な命の中に存在する普遍性により深くつながることが、より全体を受け入れ、より深い理解につながることを学びました。


たまたまFacebookで流れてきた投稿でアースマンシップのことを知り、HPを覗きにいきました。そしたらちょうど来週末に「全体を学ぶ学校」というものがあると知り、何も考えずに、迷わず参加しようと思いました。

日々の生活の中で、何か自分の中でひっかかりがあると、それは何かのメッセージだなと思い大切にしているのですが、最近その引っ掛かりが多すぎて、自分の中でまとめきれず、何かのヒント、考え、見方を知れるかなと思い参加しました。

今日が最後の日で、この4日間を振り返っているのですが、こんなに何をしていても受け入れられるコミュニティがあることがとても嬉しく、幸せです。


今まで本当に身近に感じていたはずのものが、新しく出会えたものに感じることができた。

川の流れを自分の中と重ねてケアしたり、自分ではない誰かと深く関わって、今まで感じてこなかった新しい考えを共有できたりと、いろんなことがひっくり返るような貴重な体験ができた。

普段日常の中で、たくさんある自然、出会う人々を見る目や接し方が変わるのではないだろうかと思う。

1日目に川に行って、ワイド・アングル・ビジョンをした時に、今まで生きてきた世界が一瞬にして新しいものへと生まれ変わったような気がした。
これは本当に冗談ではなくて。
これからもその時のことを忘れることはないし、忘れることはできないと思う。
体に感じるもの、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、その他たくさんの全てを、繊細に、とても強く感じることができた。

ここで聞く話が、一つも聞き逃したくないもので、そしていつか自分もしっかりと、この人たちのように、自分が体験したものを自分の言葉で語れる人になりたいと思った。

最高に素晴らしい時だった。まだまだ足りないくらいに。


小川のヘドロを取ると流れが良くなる。風が通る。
2人組のボディワークで身体に触れると、血流がよくなる。
馬頭琴とドラムのライブを全身で聴く。

どれもワイド・アングル・ビジョンでとらえ感じること。
それがわかったことで、日常との繋がりをフワリと捉えることができました。

自然界の完璧さを感じることができたのも大きく、「自分の沢をもつ」ことで、よどみを取ったり、流れたり、違和感を感じる方法が自分の中で見つかりました。

自然、身体、食事、捉える方法は同じ。
全体を学ぶ学校を体感できました。


うまく試行錯誤できる人も、うまくできない人も、
良い答えを見つけられた人も、見つけられなかった人も、
あまねく、大きく広くサポートしようとしてくださいました。

林間学校ではないので、自分で求めようとしなければいけませんが、何かを真剣に追い求めようといていれば、大変豊かで大きな学びを与えていただける場でした。


身体を動かし、語り合い、学び合う学校は、
生きること=暮らすこと を存分に体験する場でした。

年齢(10代〜60代)も、役割や立場(講師・スタッフ・参加者)も超えて、響き合えることは人生のギフト。
肚の真ん中に、あったかくて 力強い 確かなものを得られたのを感じています。

大切に育てていきます。

スタッフの方々の細かい配慮、参加者の皆様、講師の先生方、食料を提供してくださった方々、全体を学ぶ学校に関わる全ての方々との絆を感じた温かい2日間でした。

忙殺される日々から抜け出し、少しずつ自分の思いや感覚に気づき、時間を気にせずコミュニケーションをとり、人間らしさを取り戻す感覚がありました。

今回はまず初めに川に行きました。

淳さんの野生的な感覚、視野、視点を直で学び、五感を活かし「自然に溶け込む」ことで研ぎ澄まされていく自分自身の感覚に身体がゾクゾクして、喜んでいるようでした。

川では、砂沼のような場所があり、そこに足がはまり、身を持って危険な場所を学んだこともいい思い出です。

川の中では平瀬・早瀬・淵の3つの連続が命を育んでいるというお話があり、その通りだと、今まで気が付かなかったと思いました。

次に、原生林の様な森に入りました。
森の中に入った時は、まず、小さな生命の多さに驚きました。地面の堆積物の中には、大量の菌類、苔、昆虫などが無数に折り重なっていて、生命の息吹を感じました。そこには自然の自浄作用があることは言うまでもなく、いかに人間が「活かされているか」を感じる場所でした。あの偉大な森を前にただただ謙虚になる感覚があり、日常の人間関係の衝突的な感覚は消え失せました。例えば戦争とか、パワハラとか、このコロナ禍など、人間のやってきた過ちの数々が、自業自得で、愚かなことかと思い知らされました。
いずれあの森の一員になりたいなぁと思います。

夜は参加者の皆さんとお酒を飲み、笑いあい、語り合い、新たな知識を得たり、若い子の悩み相談に元気をもらったり、言葉が尽きない会でした。時間を気にせず「今」に集中する面白さ、これもなかなか味わえないことだと感じました。

朝のボディワークでは、自身の身体に触れるということが、意外にも初めての感覚でした。スポーツ的な筋肉の柔軟性、痛みなどとの感覚とは違い、触れる、温かくなる、そして、動きに滞りがなくなる、体内で衝突しなくなっている変化を感じました。

例えば水を怖がって硬直している子や、泳ぎに何かしらの滞りがある場合へのケアに非常に活かせますし、自分の身体を愛し、感度を上げ、怪我や事故などから身を守ることに繋がり、子どもに接する我々にとっては鍛えるより先に必要なことだと感じました。

竹倉先生の縄文と土偶の講義、この最先端の研究に学び驚くと共に、本当に面白すぎました。頭ではなく身体で、理屈ではなく行動によって、常識をひっくり返すような真実にリーチされており、真の研究者とはこの様な方だなと思いました。そして、現代の部分的な知識教育によって、無意識に縄文人への蔑視が生まれる様なことも痛感し、世界の様々な差別などもこれにあたると思いました。

縄文人も現代人も、生活様式が変わっているだけで基本的には同じDNAであることに今さらながら気づかされ、時を超えて繋がる感覚、非常に面白かったです。

感想のシェアの時間では、直子さんにお産についてのお話をいただき、先入観ばかりで全く知識のなかったお産について、眼から鱗の連続でした。

「関係ないものは何もない。全体を学ぶ」

現代の部分教育で欠落してしまった箇所を、少しずつ取り戻す感覚でした。

「全体を学ぶ学校」は、永遠のテーマがあると思います。
現代教育では、欠落している学びが沢山あるのが現状で、私たちの一生の中で「全体」を取り戻し、繋いでいく作業は必要なことと思います。

そして、改めて、全体の中のたった一部でしかないことを、あたかも全体の様に錯覚させる教育が非常に愚かなことだと思いました。例えば、スポーツや受験などの競争、まるで甲子園が人生の全てのように思わされた高校球児がどれだけいるか。
オリンピックが全てと思わされたアスリート。
受験の合否が全てと思わされる学生たち。

部分を全体だと錯覚させる教育は、ただ生まれてきただけで素晴らしい奇跡である私たちの一生に、目隠しを掛けるようなもの。

まずは大人達が繋がって全体を取り戻し、幸せに向かうことだと思います。コロナで分断させ弱体化させ、いかに楽に管理・支配しようとしているか考えている人たちを包み込むぐらいの勢いを身につけたいと思います。

縄文犬 ゆめちゃん

 

★note 「もうひとつの時間と豊かなつながり」
 

 

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